@article{oai:miyazaki-mu.repo.nii.ac.jp:00001054, author = {中別府, 温和 and NAKABEPPU, Harukazu}, issue = {1}, journal = {宮崎公立大学人文学部紀要, Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities}, month = {Mar}, note = {本稿では,時間に関してこれまでに提示した仮説にもとづいて,時間感覚を具体的に取り出す視点と方法の考察を行うとともに,時間感覚抽出の一具体的方法を示した。木村敏の,ante festum(前夜祭的)意識,intra festum(祝祭の最中)意識,post festum(後の祭り的)意識というモデルは,時間感覚の分析という視点からも,重要な仮説的見解である。それぞれの時間意識は,木村によって,「未来先取的」,「瞬間的現在性」,「現在完了的」と表される存在構造のように分析的モデル化される。この分析的時間意識モデルとの関連で重要なことは,これらの三つの時間感覚はどのような言語表現として外化されてくるのか,という問題である。ここに,表現(Ausdruk)とその了解(Verstehen)という視点が意義をもってくる。宗教現象の解明との関連において,時間感覚を具体的に取り出す場面に,表現と了解という視点を導入するとき,神話(Mythe)と終末的思考(Eschatologie)が重要な分析の対象であると考えられる。この見解を,レヴィ=ストロースによる神話の分析ならびにマックス・ウェーバーの預言者と終末論の分析を中心に吟味した。前者については,語られることによって生きつづけている神話が,難産の女性が言い表すことができない状態を,あるいは他に言い表すことができない状態を,直接直ちに自身で言い表す(s'exprimer immediatement;pensable;acceptable)ことができる状態に変容させる局面,つまり,現実的経験の再構成(restituer une experience reelle)によって神話が再び生きられる(vivre, ou revivre)局面を問題とした。神話という言語表現への移行によって,難産の女性は激痛を受け入れ,またそれを変形し乗り越える。この事例は,語られることによって生きつづけている過去が現在化されて生きられている,または再び生きられていることを示している。後者については,イスラエルの予言が,驚くべき激情のなかで行われたのは,預言者が将来に待望していることが迫真性をもっている(Aktualitat der Zukunftserwartungen)からであったこと,また,この思考が現世への無関心(Weltindifferenz)を引き起こし,そうした非現実的な側面(Unwirklichkeiten)が,生存していた人々に現実の生活に堪えることを可能にするもの,つまり希望を与えたことを問題とした。この事例は,未来に待望されている終末的意識の高揚と緊張が現在化されて生きられていることを示している。}, pages = {153--168}, title = {時間および空間感覚研究序論(3)}, volume = {9}, year = {2002}, yomi = {ナカベップ, ハルカズ} }