@article{oai:miyazaki-mu.repo.nii.ac.jp:00001233, author = {梅津, 顕一郎 and UMEZU, Kenichiro}, issue = {1}, journal = {宮崎公立大学人文学部紀要, Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities}, month = {Mar}, note = {本研究は、オリンピックのような巨大メディアイベントが果たしうる( または果たしてきた) 社会システム上の役割に関する考察である。第31 回夏季オリンピック東京大会まで3 年を切った今日、我々は1964 年の大会に関する言説を数多く見かけるようになっているが、その多くは、かつての大会が象徴した当時の我が国における発展的状況と、未来への希望を我々に思い出させようとする傾向にある。それは、1964 年に行われた18 回大会およびその時代と、31 回が開催される2020 年とを、時代をまたぎ架橋することで、現在を生きる我々にも64 年大会当時の「希望にあふれた」先人たち同様の活力と団結力を与えようとするものであるように思われる。しかし世界的にハイモダニティ化が進展しつつある現在、この発想自体果たして有効なものであるといえるのか。本稿ではとりわけオリンピックのイデオロギー装置としての役割に着目し、大会報道(大手新聞社発行グラフ誌)に見る国家的イベントへの「まなざし」の変質から検討を進めた。なお今回の論文はあくまで試論的な役割を担うものであり、今回の議論も筆者が現在行っている研究の一端に過ぎず、来年度以降も続編を執筆する予定である。, P, 論文, Article}, pages = {19--36}, title = {TOKYOから東京へ~オリンピック報道に見る「国家主義的」まなざしの変質~(前)}, volume = {25}, year = {2018}, yomi = {ウメヅ, ケンイチロウ} }