@article{oai:miyazaki-mu.repo.nii.ac.jp:00001268, author = {大賀, 郁夫 and OHGA, Ikuo}, issue = {1}, journal = {宮崎公立大学人文学部紀要, Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities}, month = {Mar}, note = {慶応四年正月三日、京都近郊の鳥羽・伏見で旧幕軍と新政府軍計約二万が激戦を交えた。徳川家の命運を決した鳥羽伏見戦争である。日向延岡藩は譜代藩として旧幕命により大坂城北の野田口の警衛を命じられ、「條理」が不明確なまま出兵するが、 戦闘は六日には新政府軍の圧勝に終わる。  十日、延岡藩は「不審之筋」ありとして入京禁止の処分を受ける。驚愕した藩は、肥後・尾張両藩および三条家に赦免の周旋を依頼すべく奔走する。在所延岡でも肥後・薩摩・佐土原諸藩に使者を送り、執りなしを依頼する。歎願書は特に肥後藩の指導のもとで作成され、無事岩倉へ提出・受理される。三月、政挙は上京して、家老・中老とともに謹慎に処せられた。  慶応期、藩主内藤政挙は在所延岡、前藩主同政義は江戸に居り、藩の政治活動は大坂蔵屋敷に出仕した家老と中老の指導で行われていた。藩主不在での出兵であり、戦闘はもとより新政府への発砲も一切なかったにもかかわらず、政挙の謹慎は一〇〇余日に及ぶ。このことは徳川家との封建的主従関係を解消させるための措置であった。, 20, P, 論文, Article}, pages = {1--26}, title = {鳥羽伏見戦争と譜代延岡藩 ― 京師・大坂・延岡「御用状留」から ―}, volume = {26}, year = {2019}, yomi = {オオガ, イクオ} }