@article{oai:miyazaki-mu.repo.nii.ac.jp:00001422, author = {大賀, 郁夫 and OOGA, Ikuo}, issue = {1}, journal = {宮崎公立大学人文学部紀要, Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities}, month = {Mar}, note = {文久期以降、異国船渡来の危機・緊張感が高まり、諸藩は領内のみならず近隣幕領も含めた海岸防備強化が要請された。文久二年八月に起きた生麦事件の賠償問題を薩摩藩と直接交渉するため、翌三年六月、英国艦隊が鹿児島に渡来して危機が現実となる。七月二日に始まる薩英戦争について、藩境を接する飫肥藩・延岡藩がどのようにしてその情報を入手したのかについて検討した。  飫肥藩では平部嶠南が、飛脚や商人をはじめ、幕府儒官安井息軒や嶠南と同門の薩摩藩士たちから、また延岡藩でも飛脚や高岡外城郷士たちからタイムリーで詳細な情報を入手していた。また都城家も薩摩藩私領主として、薩英戦争について詳細な聞合活動をしていたことを明らかにした。  情報ルートとして、鹿児島―都城―高岡―佐土原ラインが機能しており、特に高岡が情報発信の拠点であった。高岡とは飫肥領清武や延岡領宮崎などと日頃から交流が盛んであり、情報交換と共有がなされていた。情報共有を通して藩境を超えた情報ネットワーク圏が形成され、新しい地域社会が成立しつつあった。, 18, P, 論文, Article}, pages = {1--27}, title = {幕末期薩摩藩をめぐる諸藩の探索活動 ― 文久二~三年、薩英戦争前後を中心に ―}, volume = {29}, year = {2022}, yomi = {オオガ, イクオ} }