@article{oai:miyazaki-mu.repo.nii.ac.jp:00000635, author = {田宮, 昌子 and TAMIYA, Masako}, issue = {1}, journal = {宮崎公立大学人文学部紀要, Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities}, month = {Mar}, note = {文人、士大夫、読書人……時代により、また具体的指示範囲の違いにより、異なった呼称が使われてきたが、これらの人々は、文盲率が歴史的に高かった中国において高度な人文的教養を身につけた少数の人々であり、官僚として国家の経営に携わる能力と可能性を基本的に持っている。彼らは秦漢帝国以来、中国文化形成の主力となってきた社会集団であり、儒学に表われているように積極的に社会に関わり〔入世〕、自己の才を発揮することに人生の意義を置いた。道家に代表される隠棲〔出世〕の態度は、あくまでも前者が叶わない時の二次的選択肢である。そのように社会に関わること(広い意味での政治)に志を抱くよう方向づけられる彼らには、挫折や受難が付きまとう。かくして、失意の男子が己の志をうたう「悲憤慷慨」の情が生まれる。この「悲憤慷慨」の情は、有史以来の長い時間的経緯の中でそれを以って記される事例を蓄積しつつ、一つの系譜を形成してきた。この系譜上には「悲憤慷慨」の意境を象徴するいくつかの英雄的形象が現れたが、なかでも屈原は漢代以降現代までの長い伝承期間を持つ。小稿は中国文化の特質の一面を考察する有効な切り口として、この屈原像に注目し、漢代における屈原像の祖型の登場についてまとめようとするものである。}, pages = {145--160}, title = {屈原像の中国文化史上の役割:漢代における祖型の登場}, volume = {8}, year = {2001}, yomi = {タミヤ, マサコ} }