@article{oai:miyazaki-mu.repo.nii.ac.jp:00000906, author = {倉, 真一 and KURA, Shinichi}, issue = {1}, journal = {宮崎公立大学人文学部紀要, Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities}, month = {Mar}, note = {本稿では引き続き、雑誌『SAPIO』における外国人言説の分析を、2000年以降から現在に至る、分析上の時期区分では第四期中期から第五期に該当する雑誌記事を中心に行った。第四期中期では、<有益な外国人>イメージを焦点とした特集記事が組まれていた。そこで描かれる外国人像は、ホスト社会にとって「都合の良い」、他者性を縮減され理解やコントロールが容易な、安心して「われわれ=日本人」が活用できる外国人であった。対して第四期の後期では、記事の焦点は<有害な外国人>イメージに移行し、「われわれ=日本人」は「外国人犯罪」に有効な対策をうてない「弱い主体」、さらには「弱い客体」=「被害者」として語られた。その結果、次の第五期では「強い主体」として自身を回復しようとする欲望が、「外国人犯罪者」に対して「治安」を回復する政策主体という形をとって現れることになった。また治安対策の手段として移民政策が意味づけられる傾向が生じた。第五期も後期になると、<有益な外国人>-<有害な外国人>というニ項対立的な外国人表象が、治安対策の対象(客体)として、移民政策に投影されることで、同じく二項対立的な移民政策をめぐる論争が雑誌上で特集されるようになる。そこで回復されたナショナルな政策主体は、<有益な外国人>と<有害な外国人>を選別し、監視し、時には排除する主体として描かれることになる。ここに至って、第一期の雑誌『SAPIO』にみられた政策主体としてのネーション、「われわれ=日本人」は第三期におけるその揺らぎを経て、再び復活することになったのである。}, pages = {69--87}, title = {保守系オピニオン誌における外国人言説(3) -2000年代における雑誌『SAPIO』を中心に-}, volume = {16}, year = {2009}, yomi = {クラ, シンイチ} }