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長州戦争と譜代延岡藩 -「御用部屋日記」から-
https://miyazaki-mu.repo.nii.ac.jp/records/1306
https://miyazaki-mu.repo.nii.ac.jp/records/130684787fc6-657e-43f4-a0e1-6a90eacda63d
| 名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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| Item type | [ELS]紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||||||||
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| 公開日 | 2020-04-30 | |||||||||||||
| タイトル | ||||||||||||||
| タイトル | 長州戦争と譜代延岡藩 -「御用部屋日記」から- | |||||||||||||
| 言語 | ja | |||||||||||||
| タイトル | ||||||||||||||
| タイトル | チョウシュウ センソウ ト フダイ ノベオカハン ゴヨウベヤ ニッキ カラ | |||||||||||||
| 言語 | ja-Kana | |||||||||||||
| タイトル | ||||||||||||||
| タイトル | The Choshu Conquest and Fudai Nobeoka Domain | |||||||||||||
| 言語 | en | |||||||||||||
| 言語 | ||||||||||||||
| 言語 | jpn | |||||||||||||
| キーワード | ||||||||||||||
| 言語 | ja | |||||||||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||||||||
| 主題 | 長州戦争 | |||||||||||||
| キーワード | ||||||||||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||||||||
| 主題 | 下陣 | |||||||||||||
| キーワード | ||||||||||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||||||||
| 主題 | 巡邏場 | |||||||||||||
| キーワード | ||||||||||||||
| 主題Scheme | Other | |||||||||||||
| 主題 | 芸州口討手応援 | |||||||||||||
| 資源タイプ | ||||||||||||||
| 資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||||||||
| 資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||||||||
| 雑誌書誌ID | ||||||||||||||
| 収録物識別子タイプ | NCID | |||||||||||||
| 収録物識別子 | AN10457429 | |||||||||||||
| ページ属性 | ||||||||||||||
| 内容記述タイプ | Other | |||||||||||||
| 内容記述 | P | |||||||||||||
| 著者 |
大賀, 郁夫
× 大賀, 郁夫
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| 記事種別(日) | ||||||||||||||
| 内容記述タイプ | Other | |||||||||||||
| 内容記述 | 論文 | |||||||||||||
| 言語 | ja | |||||||||||||
| 記事種別(日) | ||||||||||||||
| 内容記述タイプ | Other | |||||||||||||
| 内容記述 | Article | |||||||||||||
| 言語 | en | |||||||||||||
| 抄録(日) | ||||||||||||||
| 内容記述タイプ | Abstract | |||||||||||||
| 内容記述 | 長州戦争とは、元治元年から慶応二年まで、幕府が二次にわたって「朝敵」となった長州藩の征討を試み、幕府軍の敗北に終わった内戦である。日向延岡藩は譜代藩としてこの長州戦争に二度とも出陣しており、藩政および藩財政に与えた影響は極めて大きいものがある。 本稿では藩主内藤政挙が出陣した第二次征長をとりあげ、旗本後備の拝命から大坂出陣・滞坂、広島出陣について「御用部屋日記」から検討を加えた。滞坂中の下陣や巡邏出役のあり方、続出する病死人への対処、長引く滞在で風紀紊乱に陥った家臣・人夫たちをどのように統制したかなどを明らかにした。 また慶応二年六月、延岡藩は芸州口討手応援を命じられるが、広島に到着したのは大幅に遅れた七月である。その背景には病人の増加と在所から登坂する人夫不足があった。小倉城自焼の知らせを受けた藩は、幕命より自領守衛を優先し、着芸わずか一週間で大半の兵士・人夫を帰国させる。延岡藩にとって長州戦争は、莫大な財政支出と多数の病死人を招いただけであったが、延岡藩はこの後も鳥羽伏見戦争まで、譜代藩として幕府との封建的主従関係を維持することになる。 |
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| 言語 | ja | |||||||||||||
| 書誌情報 |
ja : 宮崎公立大学人文学部紀要 en : Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities 巻 27, 号 1, p. 1-34, 発行日 2020-03-06 |
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| 表示順 | ||||||||||||||
| 内容記述タイプ | Other | |||||||||||||
| 内容記述 | 18 | |||||||||||||
| ISSN | ||||||||||||||
| 収録物識別子タイプ | ISSN | |||||||||||||
| 収録物識別子 | 13403613 | |||||||||||||